調査研究・刊行物

調査研究ノート

【香川の石碑(いしぶみ)】 第4回 「奉供養納経四国霊場五百人講」碑

三豊市詫間町詫間宮の下にある波打八幡神社参道口から県道詫間仁尾線(県道231号)沿いに200mほど東南方向に走った信号交差点に新川観音堂があります。この敷地内には、「奉供養光明真言二百萬遍講中」碑(安永4・1775年)や忠魂碑(昭和9・1934年)など、いくつかの石造物が建っていますが、四国遍路や西国三十三観音に関わる石碑も見ることができます。今回はそこに建つ2基の碑を紹介します。

一つは交差点の角に建つ石碑で、自然石を三面加工し、正面に「奉供養納経四国霊場五百人講」、右面に「文政三庚辰歳三月廿一日建立」、左面に「十方施主如意満足」と刻んだものです。文政3(1820)年に当地にあった四国霊場五百人講が納経供養した記念碑というとでしょうか。どのような組織団体かは不明ながら四国霊場五百人講という信仰組織がつくられ、四国霊場への遍路・納経などが行われていたことが推測されます。

もう一つは、「新川観音堂再築記念」碑です。昭和7(1932)年に建てられたもので、当時のムラの関係者がこの地に建っていた観音堂の客殿の再建修理に泉水積立金17ヵ年分530円を充当した旨が記されています。その前文には観音堂の由来について次のよう刻まれています。  「新川観音堂再建記念
   元祖當村字中郷大池林治西国霊場百廻ヲ納メ其記念
   シテ嘉永三年七月此所十一面観世音大菩薩ヲ安置ス」
  嘉永3(1850)年に、西国三十三所巡礼を100回達成した人があり、それを記念して十一面観音を安置したというものです。100回もの西国巡礼が本当に行われたかどうかは未確認ですが、これら二つの石碑からは、当時、ムラを離れ四国遍路や西国巡礼に出かけた人がいたこと、かなりの期間ムラを離れて巡礼活動していた人がいたことなどがわかります。
  みなさんの身近なところにも、いにしえのムラ人の信仰を物語る碑が人知れず建っているかもしれません。近所を散歩しながら、苔むした石碑にも注目していただき、是非当館にも情報をお寄せ下さい。
                   
(主任専門職員 田井静明)

photo1
新川観音(三豊市詫間町)
    
photo1
「奉供養納経四国霊場五百人講」碑
photo1
「新川観音堂再築記念」碑
ページの先頭へ