調査研究・刊行物

調査研究ノート

【備讃瀬戸あれこれ】 第7回 「平家蟹」

『毛吹草』にあげられている讃岐の名物に平家蟹(ヘイケガニ)があります。

このカニは人の手のひらに何匹も乗るほど小さなものです。日本をはじめ東アジア沿岸に広く分布しますが、和名ばかりでなく英名も「heikegani」となっています。

そのわけは2㎝程度の甲羅の模様が、人が怒った表情に似ていることにあります。このカニは瀬戸内海や九州沿岸に多いことから、屋島檀ノ浦や長州壇ノ浦(山口県下関市)で敗れた平家の亡霊が乗り移ったという伝説が生まれ、これが名前の由来となっているのです。

甲殻類学者の酒井恒氏が著した『蟹 その生態と神秘』と言う本にはヘイケガニのことが詳しく解説されています。

その中に、屋島頂上の土産物屋で標本が売られていたと書かれていたため、ぜひ実物を見たいと早速出かけました。

数軒回り、やっと一軒で見ることができました。径7㎝ほどの半球形のプラスチック容器の中に、赤く着色された本物の小さなカニが入れられていました。確かに憤怒の形相に見えます。お店の方の話だと「今はもう獲れなく、この土産も製造しておらず、残った3個だけを飾として置いている」とのことでした。

ところで、このカニが「ヘイケガニ」と名付けられたのはいつ頃のことなのでしょう。

1713年に大坂で刊行された『和漢三才図会』では「たけふのかに、しまむらかに」と記され「平家蟹という呼び名はまだでていない」と、酒井氏は指摘しています。

一方、右の挿図の原典である『衆鱗図』には「平家蟹」と記されています。この図譜は高松藩五代藩主松平頼恭の命のもとに平賀源内が関わって、宝暦年間(1751~1764)に制作されたと推定されています。すると源内がこの呼び名を採用したのかなと、勝手に想像したくなります。
  (当館館長 大山真充)

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『衆鱗図』の平家蟹
(高松松平家歴史資料・県立ミュージアム保管)
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