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調査研究ノート

【香川の石碑(いしぶみ)】 第3回 「奉納大乗妙典日本六十六部/四国霊場廿四遍成就所」碑

観音寺港の西方海上、燧灘に浮かぶ伊吹島。イワシ漁など漁業を主生業とするこの島は、金毘羅信仰や恵比寿信仰、石鎚信仰などが今も盛んなことで知られていますが、四国遍路、特に娘遍路も戦前まで盛んに行われていました。

観音寺からの定期船が着く真浦港から坂を登り八幡神社の鳥居を過ぎて、再び坂を登り切った広場には、西の堂や大日堂、荒神社が建っています。その西の堂の中には弘法大師像が祀られ、また大正から昭和初期にかけて島から出かけた娘遍路の記念写真が10面ばかりかけられています。

さて、西の堂の傍らに建ついくつかの石塔の一つに、次のような銘文を持つ石碑があります。正面に「奉納大乗妙典日本六十六部」、右面に「南無大師遍照金剛」、左面に「四国霊場廿四遍成就所」、裏面に「宝暦十庚辰八月廿一日 行者藤兵衛」。

この石碑は、江戸時代の中頃の宝暦10(1760)年に建てられたもので、日本廻国行者藤兵衛が六十六カ国を巡り大乗妙典を納めつつ、また四国遍路も二十四遍にわたって廻ったことを物語るものです。

     

『へんろ人列伝』(喜代吉榮徳1999)には、四国遍路三十六度をまわった高林玄秀(延宝8年成就)や二十七遍をまわった道休(貞享元年成就)、百三十六度巡拝をした芸州忠左衛門(幕末期)などが、江戸時代の多数度巡拝者として紹介されていますが、この伊吹島に建つ石碑に刻まれた行者藤兵衛も負けず劣らず、遍路を重ねたことがわかります。

また、行者を名乗ったこの宗教的修行者は、日本廻国もすれば、四国遍路も重ねていました。この藤兵衛とはどのような人だったのでしょうか。伊吹島に住まいした人だったのでしょうか。また、島人の遍路を先達した人だったのでしょうか、興味は尽きません。島に残るこの石碑もまた、四国遍路資料として貴重な一石と言えるでしょう。
 (主任専門職員 田井静明)

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伊吹島の西の堂
    
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(表面)「奉納大乗妙典日本六十六部」銘
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(左面)「四国霊場廿四遍成就所」銘
     
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(裏面)「宝暦十庚辰八月廿一日
行者藤兵衛」銘
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