調査研究・刊行物

調査研究ノート

【備讃瀬戸あれこれ】 第2回 「ダツという魚」

高松藩の武士がキュウセンを食べたのだろうかと疑問に思った理由のもう一つは、ダツの骨が一緒に出土していたからです。

ダツは現代ではあまり食べない魚なのです。サヨリやサンマの仲間だと言うと体形が想像できるとおり細長く、大きなものだと雌で1. 5mもあるそうです。特徴は口にあり、正確には「あご」ですが、サヨリは下顎が長く上顎は短いのに対して、ダツは上下とも長く突き出しています。

スーパーの鮮魚売り場に並ぶこともなく、釣りで出くわしたこともないため、今まで関心を持ったこともありませんでした。

ところが、当館(瀬戸内海歴史民俗資料館)に展示されている漁具を見て俄然興味を持つようになりました。第1展示室に大きな「やす」(ダスツキ)が並べられています。大きいのは先端の歯の部分です。普通は三つ又や歯が1本増えた四つ手ですが、これは七つ手、八つ手で、歯全体の左右幅は28㎝もあります。

これで何を捕るのだろうと展示説明を見ると、ダツを突き刺すものなのです。やす以外に黒い半裁した木も並べられています。これもダツを捕る際の道具です。堀充宏氏の「伊吹島のダス漁聞書」(『民俗』相模民俗学会1984)も参照して、どのようにダスを捕ったかを紹介しましょう。

梅雨時に、ダスは産卵のため岸に寄って来ます。潮が満ち始めると沖合いから群れをなし、くるぶしほどの浅いところまでも来るそうです。腹の張った雌は7、8匹の雄を引き連れています。雌が石で腹をこするようにして卵を産むと、そこに雄が重なるようにして放精します。その時ダツは夢中で人の物音にも驚かないため、そこをやすで突き捕獲するのです。

おもしろいのは半裁した長さ25㎝前後の黒い木(アバ)の使い方です。桐の木で軽く、内側がくり抜かれています。四隅にひもが付けられており、捕まえた雌の背にゆわい付け逃がします。傷ついていますが、しばらくは元気で沖に向かって泳ぎます。すると雌を見つけた雄が寄ってきます。そこでアバに付けたひもをゆっくりと引き寄せて群れを岸へと誘導するわけです。

この漁は、香川県西部の伊吹島で、昭和の始め頃まで行われていました。網漁もあったものの、ダツはそれほどよい値で売れず、地元で食べることも少なかったようだと堀氏は記しています。

『魚の博物事典』(末広恭雄著)には「ほとんど周年漁獲されるが市場価値はあまりない。煮付けにするとうまいということだ」と書かれています。近年は好んでは食べられていないようですが、江戸時代は、さて、どうだったのでしょうか。
                          (当館館長 大山真充)

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アバ(左)とダスツキの歯(右)
江戸時代のダツ
江戸時代のダツ(「衆鱗図」(高松松平家歴史資料・香川県立ミュージアム保管)より)
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