テドウラ(広島県呉市豊島)                          (第3回2017.11)

   今は呉市に合併され、とびしま海道として橋で結ばれた豊島(とよしま)。 このテドウラは、木造船にエンジンが積まれる前、櫓による手漕ぎで操船し漁をしていたときにはいた手袋で、昭和40年頃まで使われたものである。
  素手だと手にマメができて漁にならないが、この手袋をつけると摩擦が防げてマメができなかったという。着なくなった古い着物の一部をつづり合わせて作っており、刺し子によって補強されている。また、摩擦で破れてしまったところには、端切れをあててつぎをしている。

     

                                                          テドウラ

ユビサシ(愛媛県松山市中島)            

   今は松山市に合併された忽那諸島の中心的な島、中島(なかじま)。 このユビサシは、コブイカ釣りやハマチ、タチウオ釣りの時に、針が大きいため、指を傷めることがあるため、このユビサシを人差し指につけて魚を釣り針からはずした。また、釣り針の修繕の時にも、指を守るためにつけることもあったという。
  木綿の布を指輪状にして刺し子をほどこしており、昭和45年頃まで使用した。稀に革製のものを用いる人もいた。

ユビサシ

   

 【写真左】豊島の南の斎島付近でおこなわれたアビ鳥漁のようす (昭和50年撮影)

 【写真右】広島県の天然記念物 渡り鳥のアビ鳥 漁師はアビ鳥がいるところには小魚がいて、そこにはタイやスズキもいることから、それを狙って釣り漁をする(昭和50年撮影)


 

ゴゼンバコ(明石市林崎)                             (第2回2017.10)

   播磨灘に面した明石海峡の西に位置する林崎漁港や明石浦漁港では、各漁村の組ごとにエビスサンや龍神さんが祭られている。今も明石浦漁港では、正月には海に向かって八大龍王の幟が立てられ、漁師の家では餅や洗米、煮干しなどのお供えものが、臨時にしつらえられたお供え箱(棚)に供えられており、海への篤い信仰をうかがうことができる。
   本資料は、播磨灘でもタコ漁などが盛んだった林崎で、昭和50年に収集されたものである。当時、調査収集を行った職員の報告には、次のように記されている。  
  四、五百メートルの、海辺にならぶ漁家の家並に、五ヶ所もエビスサンを祭った小さなほこらがある。そのほこらの前に、木製または石造りの、小さな棚が設けてある。もう十年ほど前までは、この神前の棚にいつも、タコやタイ、サワラの初穂やお洗米に御神酒がたえなかったという。(瀬戸内海歴史民俗資料館『収蔵品紹介』(文 高橋克夫)より)
   このゴゼンバコは、毎朝、この箱にお洗米とナマス(またはイワシの煮干し)、御神酒を入れてエビスサンや自分の船のフナダマサンに供えるのに使われたもので、昭和40年代後半には、すでにゴゼンバコを使ったその風習はかなり廃れ、ゴゼンバコも失われて収集に苦労したと伝えている。   

     

                                      ゴゼンバコ

    

明石浦漁港(兵庫県)の正月の臨時の八大龍王のお供え箱   (平成28年1月16日撮影)

    

 ノリ養殖が盛んな現在の林崎漁港(兵庫県明石市)   (平成28年1月17日撮影)

 


 

魔除けの貝 アワビとホネガイ      (第1回2017.7)

   瀬戸内から九州東海岸ではアワビが、四国や近畿地方の太平洋岸ではホネガイなどのトゲのある貝が、魔除けや疱瘡除けとして家の戸口につるされた。節分の柊のように尖ったもの、チクチクするものや、アワビのような光るもの、または臭いを放つものなどが、魔物や病気を撃退することができると信じられていた。
 直島(香川)では、特にアワビの貝に「鎮西八郎為朝御宿」と墨書したものが掲げられた。鎮西八郎為朝は、強弓の使い手で、保元の乱ののち伊豆に流された源氏の武将。
 近年の研究では、江戸時代の終わり頃、直島の庄屋が源為朝を主人公にした伝奇小説『椿説弓張月』の作者曲亭馬琴に江戸まで会いに行っていたことが知られ、その影響からこうした墨書が書かれることになったとも考えられている。
 小説の中では崇徳院に関連して直島も登場し、また為朝は八丈島で疱瘡神を退治しており、その場面は葛飾北斎の挿絵で描かれている。疱瘡神を退治した為朝の力にあやかろうとしたのであろうか。

    

 

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