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讃岐国府跡 調査現場から 13
林田町の地名調査1
讃岐国府跡探索事業では讃岐国府跡周辺の調査も行っています。今年度は坂出市林田町が対象です。5月から6月にかけて、坂出市林田出張所の倉庫に保管されている公文書類の調査を行いましたが、この中には江戸時代の検地帳がありました。検地帳とは検地の結果をまとめた土地台帳のことで、地目・地位・面積・収穫高・耕作者・土地の呼び名などが記されています。 写真の検地帳は文化2年(1805)に作成された『阿野郡北林田村田畑順道帳 西梶下所 野末免』の一部です。「百九十五」の下に「一上々田九畝六歩」と書いています。その右肩には「寺東右同壱反八畝拾弐歩之内」とあります。数行前に「新開」とありますので、「右同」は「新開」のことでしょう。「百九十五」は「寺東新開」と呼ばれる土地で、1反8畝12歩の中の9畝6歩は収穫高の良い上々田であることがわかります。
『阿野郡北林田村田畑順道帳 西梶下所 野末免』
ところで、「寺東新開」はどこの場所に当たるのでしょうか。この検地帳が作成されたあとで、貼り紙をして地番を書き記しています。この地番がどこに当たるのか、明治時代の初めに作成された地籍図で調べました。この地籍図も林田出張所に保管されています。写真は林田町字川向の地籍図です。 この絵図をみると、「寺東新開」は林田町の西部、綾川の西岸で、主要地方道高松王越坂出線の北約200mのところにある田であることがわかります。この付近には真言宗の寺院である高照院があったという伝承があります。現在、高照院は坂出市西庄町にあります。現在の高照院があった場所には摩尼珠院妙成就寺がありましたが、明治初年の神仏分離令によってお寺がなくなりました。その後、末寺の高照院が移転してきて七十九番札所を引き継ぎました。したがって、この「寺東新開」の西側に西庄町に移転する前の高照院があったことがわかります。 また、『阿野郡北林田村田畑順道帳 西梶上所』という検地帳をみると、「川」という田の呼び名がみつかりました。
『阿野郡北林田村田畑順道帳 西梶上所』
地籍図から田の位置をさがすと、さぬき浜街道の南側の八坂神社の250m東の田であることがわかります。この付近の田畑の区画は整然としていません。おそらく、かつては川であったものと思われます。 このように、検地帳に記されている地名などを調査することで、古い地形やかつての建造物などがわかります。今後、地元の方々からの聞き取り調査を行い、さらに詳しく古い地名を調べる予定です。
※ 掲載資料に関するお問い合わせは香川県埋蔵文化財センターまでお願いします。 TEL :0877-48-2191
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