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発掘現場通信 城泉遺跡 (国道11号大内白鳥バイパス建設工事に伴う発掘調査)
弥生時代の農業用水路かも 以前、マツリの場で使用されたと考えられる土器とともに玉が見つかったことを紹介しました。その際に、周辺の土を持ち帰り洗浄して、他の玉について有無を確認することをお知らせしました。ようやく全ての土を洗い終えましたが、残念ながら以前見つかった以上のものはありませんでした。前回の記事にも書きましたが、玉類の使用に際してはかなりの量が用いられるようです。一例として首飾り状にして木などに掛けて使う情景が和歌の中に詠まれたものを紹介しました。マツリが終わると、その玉は連ねた紐を切り、その場にばらまかれるようです。特に葬送儀礼の場において、そのような状態で玉が見つかった例が他府県にはあります。城泉遺跡でも同じようなことをしているのではないかと想定し、玉の捜索にあたったわけですが、それを裏付ける証拠は得られませんでした。 なお、この調査区については古墳時代中期の地面を削り取ると、弥生時代の終わりごろの地面が現れました。そこには南北方向に延びる幅約1m、深さ約0.8mの溝が掘られていました。狭い範囲の調査なのではっきりしたことは言えませんが、東側の丘陵の裾と西側にある旧河道の境に地形に沿うようにして掘削されたものと考えられます。遺物がほとんど見つからず、生産域の中に掘られた用水路のようなものをイメージしています。 (2012年3月9日)
マツリのあと。 前回紹介した管玉が見つかった川の中から、今度は刀を模した木製品が3点見つかりました。周りからは他にも板材や杭などの製品のほか、桃などの種子も見つかっています。なかには端が焼け焦げた木片も見つかっています。共に見つかった土器から古墳時代の終わりごろ(約1,400年前)のものと考えられます。この木製品は、刀形(かたながた)と呼ばれ、通常板を切り抜いて板状に作ることが多いのですが、城泉遺跡から見つかったものは「峰(みね)」と「刃」を作り分けているなど、写実的な作りをしています。用途は、「祓(はら)い」をする際に邪(じゃ)を断ち切るための祭器として使われます。川の中から出てきていることから、城泉遺跡の集落に関わる人によって水に関わるマツリが行われたと考えられます。焦げた木片もかがり火を焚いた際の名残かもしれません。 写真2 見つかった刀形のうち1点 写真3 もう1例の刀形 (2011年12月22日)
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