香川県埋蔵文化財センター

 発掘現場通信 旧練兵場遺跡 2


大型建物跡を掘り下げる


 

 大形建物の規模と時代がわかりました。

 

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写真1:確認調査の風景1 (南から)

 

 前回、お伝えした大型建物の大きさを確認するための調査を行いました。写真手前には大型建物の南東隅柱がみえます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真2:確認調査の風景2 (北から)

 

 建物の大きさを確認するための調査ですので、柱穴など輪郭を検出した状態で測量し、中身の掘り下げはしていません。写真手前左側から奥へ向かって点々と存在する黒っぽい所が、大きな柱穴です。その周囲には柱穴によって壊された弥生時代の竪穴住居の土がみえます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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図1大型建物の復元図

 

 

白くなっている箇所は調査で確認した柱穴。灰色で表現している箇所は、存在が推定できる柱穴を表していま

す。大型建物は、総束柱(そうつかはしら)構造というすべての柱で床の荷重を支える柱構造をもっており、「クラ」と呼んでいいでしょう。建物の床の面積は約50uと推定できます。柱穴から出土した土器や、大型建物を壊す大きな溝の時代から、飛鳥時代前期(7世紀前半)に建てられた「クラ」と考えられます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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図2:大型建物を区画する溝

 左の図は、大型建物周辺を広く測量した図で、右の図はそれを拡大した図です。大型建物の左側(西)に同じ向きの溝があり、上側(北側)にも西側の溝を90°東へ反転した溝がみられます。これらの溝は、埋まった土の状態や出土した土器から、大型建物と同じ時代の溝と考えられます。

 

規模と構造、時代がわかりましたので、今後はこの「クラ」がどのような施設に伴うものなのかを明らかにしていく必要があります。時代から考えると、評衙(ひょうが)などの役所にともなう「クラ」か、郷などの単位に個別におかれた「クラ」なのか? いずれにしても飛鳥時代の讃岐を考えるための重要な資料となるでしょう。

2012年3月5日) 

大型の建物跡を発見


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写真1:並んでみつかった大形の柱穴

 

 今年度の最後の調査地点で大きな柱穴が並んで出土しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真2:柱穴を半分掘りました

 

 幅が狭い調査地ですが、写真1の大きな柱穴の並びが北東方向に延びてみつかりはじめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真3:柱の痕跡を確認

 

 柱穴は一辺の長さが約1.1mの方形と円形の中間的な形で、深さが約0.5m残っています。柱が腐って土となった部分も確認しており、柱の直径は約30pです。また、部分的に柱の木質が残っている柱穴もあり、調べると柱の木の種類を明らかにできるでしょう。

 

 

 

 

 

 

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写真4:南からみた大形建物       写真5:北からみた大形建物

 

 現在までにわかった大形建物の床面積は約38.7u(約11坪)ですが、今後の調査で更に大きくなることが予想されます。建物の外側の柱穴に加えて内部にも柱穴をもつ総柱(そうばしら)式とよばれる建物で、外側と内側の柱の大きさに違いがない大きな柱を建てていることから、重量物を収納することができる蔵のような建物と推定できます。

 建物の年代は、古墳時代の終わりごろ(6世紀〜7世紀前半)と考えていますが、詳細がわかり次第、紹介させていただきます。

(2012年2月14日)

最近の調査状況から


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写真1 遺跡を香色山から見た状態

 

 写真中央の建設工事現場があるところが旧練兵場遺跡です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真2 弥生時代後期の土器棺墓

 昨年末に紹介した土器棺墓の調査の続報です。弥生時代後期後半(約1900年前)の小児を埋葬した土器棺墓が3基並んでみつかりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20120130KYUURENPEIJOU03.JPG - 202,766BYTES写真3 土器棺墓をよこから見た様子

 

全て北から南へ斜めに穴を掘り、大型壷を斜めに据えつけています。手前の2つは、大型の鉢を蓋としていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真4 土器棺中身は?

 

 骨は溶けて土になっていました。また、土の重みにより土器の破片が落ち込んでいると同時に、拳ぐらいの大きさの石も出土しています。弥生時代に埋葬したときに、土器棺の上に標石として置かれたものかもしれません。

 

 

 

 

     

                                                                        

 

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写真5 土器墓の南側の調査地の様子

 

 写真手前右側は、古墳時代前期(約1700年前)の四角い竪穴住居。左側は奈良時代の溝跡です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真6 縄文時代の大きな穴がみつかりました

弥生時代の地面の下から、縄文時代の大きな穴がみつかり、慎重に掘り下げています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真7 縄文時代の大きな穴がみつかりました

 

中からはサヌカイトの破片と小さな土器片が出土していますが、詳しい時期はわかりませんでした。穴の内部は、古土壌(昔の地面の表面の土)で意図的に埋められているので、自然にできたものではなく、人が掘った穴であることは確かです(写真にある縦方向の細い筋は、植物等が生えた際の根の跡で生物擾乱とみられます)。これまで旧練兵場遺跡では、縄文時代の河跡はみつかっていましたが、集落の内部にみられる住居などの遺構はわかっていませんでした。今回の穴は住居ではありませんが、サヌカイト片がみられることなどから、生活に関係した遺構と推定できます。今後の調査で更に明らかにしていきたいと考えています。

(2012年1月30日)

新たなる知見が続々と


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写真1

 

 弥生時代後期前半(約1900〜2000前)の大きな柱穴がみつかりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真2

 

柱穴を半分掘って埋まり方を記録しています。

大人の腰まである深さです

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真3

 

深さは約1.1m。昨年度の調査成果と組み合わせて、床面積約42uの建物が建っていたことがわかりました。

 

弥生時代の旧練兵場遺跡では最も大きな建物となります。

 

 

 

 

 

 

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写真4

 

東側の調査地点では弥生時代後期の終わりごろ(約1800年前)の子供の墓が三つ並んでみつかりました。

 

 

 

 

                                                                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 写真5

 

型の壷に子供の遺骸を入れて埋葬したもので、「土器棺墓(どきかんぼ)」と呼んでいます。

内部の調査はこれからですが、中に骨や歯が残っていると、埋葬された子供の性別や年齢を明らかにすることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

(2011年12月26日)

弥生時代の河跡を掘る


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写真1  弥生時代前期から古代の河跡

 

 「遺跡の中を蛇行しながら流れる河跡の発掘調査を行っています。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真2  弥生時代中期後半の層から出土した石列

 

「河跡から扁平な石が列状にみつかりました。

 集落の中の通路として利用するため、河跡に石を並べていると

 考えられます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真3  河跡から出土した石列

「長さ約30p、幅約20pの扁平な石を並べています。

人が通行するにはちょうどいい間隔です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

(2011年12月02日)

発掘調査再開


20111130KYUURENPEIJOU01.JPG - 217,695BYTES写真1  調査風景

  「旧練兵場遺跡の発掘調査を再開しています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真2  弥生時代中期から古墳時代後期の竪穴住居

 

 「狭い範囲の発掘調査ですが、約11棟の弥生時代中期から

  古墳時代後期の竪穴住居跡を検出しました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真3  弥生時代中期後半の柱穴跡

 

  「黄色の粘土で埋められている柱穴で、写真の手前側に白く変色  

   している箇所に柱が立てられていたと考えられます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

(2011年11月30日)

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