こどもTHEかがわ 昔、こんな人が 郷土の先人 多くの人たちの努力により、今の香川があります。有名・無名を問わず、みんなの心の糧になるような人たちを何人か紹介していきます。
昔、こんな人が郷土の先人40 多くの人たちの努力により、いまの香川があります。
みんなの心の糧になるような人たちを紹介していきます。 宮井茂九郎みやいもくろう(1853〜1906年)「“桃源郷のまち”を生んだ、桃栽培の先覚者」  丸亀市飯山町は桃の名産地で、県下一の生産量を誇っています。明治時代初期に、この地域で桃の栽培を始めたのが宮井茂九郎です。
 宮井茂九郎は、嘉永6(1853)年、川原村(現在の丸亀市飯山町川原)に生まれました。15歳の時、村の庄屋だった伯父の養子となります。茂九郎は幼いころから学問好きで、地元の塾に加え、高松の学者にも学びました。
 明治3(1870)年、茂九郎は17歳の若さで庄屋を継ぐことになりました。さらに翌年、近隣の村々を含めた鵜足郡一帯をまとめる大庄屋に任じられます。若くして大任に就いた茂九郎は人望もあつく、村を発展させようと いう意欲に燃えていました。 村を豊かにするには、農業を盛んにしなければならないと考えた茂九郎は、丘陵の多い村の地形に目を付け、果樹栽培に適しているのではないかと考えます。そこで明治11年、まず飯野山南麓の約5 を開墾し、ミカンと桃を植えました。
 この時、茂九郎は、土の性質が果樹の生育に影響するということを知り、専門家に土壌検査を依頼し、飯野山周辺 の花崗岩土壌が桃の栽培に向いているという結果を得ます。そこで茂九郎は、自ら村人を指揮して畑作りに励み、桃栽培に力を入れました。その後、近くの楠見山などにも畑を広げ、桃の種類も高品質のものを導入するなど、桃栽培を地場産業として確立させました。
   茂九郎は明治23年、鵜足郡の4村が合併した坂本村の初代村長に就任。さらに明治31年から5期連続で衆議院議員を務め、県の発展に尽くしました。明治39年、茂九郎は病気で急死しますが、54歳という早すぎる死を惜しみ、葬儀には約1000人が参列したといわれています。