四国霊場は、空海が生んだ壮大な曼荼羅である
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万二千人倶皆是阿羅漢
弘法大師が字を書き、大師の母が菩薩を描いたとされる「一字一仏法華経序品」(国宝)からの一行の文字である。
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稚児大師立像
(ちごだいしりゅうぞう)弘法大師の叔父である佐伯道長卿の作と言われている。(総本山善通寺所蔵) |
その人物は、名前のごとく広大である。空海という名は、千二百年の時を経て力強く生き続けている。
天才の誉れも高かった空海は、期待を担って大学へ入学し、努力の限りを尽くして勉強をした。しかし、あっさりと大学を離れてしまう。空海は単なる知識ではなく、人としての真理を求めたのだった。
その時代、空海は山野をさまよい、心と身体を鍛え抜いていた。その飽くなき探求心が捉えたものが、密教であり、唐への留学であった。目標を見据えた空海は、留学僧の資格を取り、当時の国際都市である長安(現在の西安市)で恵果和尚から真言密教を直伝される。
帰国後の空海の活躍は目覚ましく、善通寺を創建し、高野山に大伽藍を建立。日本における真言密教を打ち立てる。曼荼羅をはじめ多くの文化を持ち帰り、日本で最初の庶民のための学校である綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)をつくり、かな文字(いろは歌)の基本を発案。日本一のため池として名高い満濃池も空海の土木事業がもたらしたもの。また、建築・鉱業・自然科学・医療と幅広い分野で活躍し、平安初期の三筆の一人と評され、文学論から辞典まで表し文学的名声も高い。
四国霊場八十八ヶ所は空海が四十二歳の時に開いたとされ、四国遍路は同行二人、お大師さまとともに歩む旅だという。
総本山善通寺は、弘法大師誕生の聖地。寺の名は空海の父の名に由来し、境内には誕生の時に用いられた産湯の井戸が残り、御影堂の地下にある戒壇めぐりでは大師のお声を聞くことができる。大師三大霊跡の一つである。
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満濃池
弘法大師が唐で学んだ最新土木技術を駆使し、三ヶ月で竣工したと伝えられる。 |
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戒壇(かいだん)めぐり
誕生院と呼ばれる善通寺西院の御影堂の地下にある。
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五重塔
伽藍配置は創建当時を手本としたという善通寺東院の境内にそびえている。 |
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宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(現在の香川県善通寺市)で生まれた空海は、承和2年(835)に高野山で入定。延喜21年(921)に醍醐天皇より弘法大師の諡号(しごう)が贈られる。誕生の地総本山善通寺の境内には、今も空海が見上げた大楠が茂っている。

瞬目大師(めひきだいし)
〔善通寺御影〕母のために水面に姿を映し描いたとされる大師の自画像。土御門天皇が拝覧のおり、瞬(まばた)きをしたので「瞬目大師」の尊号を賜った。(総本山善通寺所蔵)
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