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特集 さぬきうどんの魅力を探る 06 05
 

【特集】さぬきうどんの魅力を探る
うどんが語る讃岐旅情 喰う善(クウゼン)のうどんブーム
讃岐が全国を席巻しはじめた。「さぬきうどん」のことである。東京に進出した専門店は連日長蛇の列。日曜日ともなれば、うどん店と続く車が県内の農道に並ぶ。

うどんにまつわる 空海伝説
 讃岐とは、言わずと知れた四国は 香川県の旧国名である。今や他の追随を許さないうどん界のホープを生んだのは、この讃岐の地。香川県は、昔から晴れの日が多い。言い換えれば、雨が少なく温暖な気候は、小麦を栽培するのに適していたのである。
 うどんの原料となるこの小麦は、いつごろ讃岐に根づいたのか。香川の伝説では、うどんづくりに適した小麦と製麺方法は、弘法大師空海が唐の国から持ち帰ったということになっている。しかし通説では、麺の伝来は空海帰朝のおよそ百年前。七世紀初頭にはじまった遣隋使・遣唐使が大きな役割を果たし、中国から渡来するさまざまな大陸文化の一つとして麺文化も伝わったと考えられている。伝説や通説はともかくとして、讃岐の人は弘法伝説と結びつけて小麦をあがめ、うどんを愛し続けてきたのは事実である。


江戸時代に花開く うどん文化
 さぬきうどんに関する最も古い資料は、海の神様こんぴらさんで知られた金刀比羅宮に伝わる「金毘羅祭礼図屏風」にある。これは、今から約三百年前の元禄時代(一六八八〜一七○四)の絵屏風。当時の門前町の様子が克明に描かれたその中に、三軒のうどん屋が見える。ちなみに、空海の時代の麺というのは、だんごを潰したような形であったと推察され、今のような長いうどんになったのは、江戸時代の享保年間(一七一六〜一七三六)と伝えられている。

金毘羅祭礼図屏風   水車小屋    
「金毘羅祭礼図屏風」は狩野休円清信の作といわれ、元禄風俗が描かれる。   かつて、県内の川筋には、うどんのための小麦をひく多くの水車小屋があった。    

あぜ道の向こうに さぬきうどんが待っている
 うどんは讃岐の家々でつくられてきた。そんなわが家のうどんの味が、時代の変遷の中で製麺所のうどんに移り変わっていく。製麺所の何軒かは、小麦袋を積んだ板の間や縁台で、うどんが食べられるようになっていた。その素朴なうどん屋が、現在のさぬきうどんの名店といわれる何軒かの原形であろう。あぜ道をたどって製麺所に行き、うどん玉を買うついでに食べさせてもらった打ち立てのうどんの味は、忘れることができないものだ。こうして、うどんづくりは讃岐で鍛え抜かれ、平成の時代にさぬきうどんブームなるものを巻き起こしている。

   
讃岐のうどん店は不思議な場所にある。口にするまでの戸惑いを楽しむのが肝心。路地もあぜ道も讃岐のテイストを満喫していただきたい。

  品書き
さぬきうどん
トッピング さぬきうどんは、品書きもトッピングもわがままに選べる。
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