更新日:2003/4/25

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■回顧録
   
●21世紀型の田園都市を -議会を去るにあたって-
   
大西 末廣議員

飯山町出身、昭和38年4月県議会初当選。以来連続10回当選。
この間、昭和56年10月から昭和57年9月まで議長を務めた。
   
   長いようであり、短い40年間でした。昭和38年、32歳の若輩だった私が県議会に議席を与えられ、当時は「昭和生まれの第1号県議」として、ちょっぴり話題になりました。以来、10 期の長きにわたった議員生活。先輩の指導を仰ぎ、同僚に励まされながら、悔いのない政治家人生を送りました。この間、母校・丸亀高校の校訓「終始一誠意」を忘れることなく、県民の皆さんに接しました。とにかくよく頑張った、というのが実感です。
 初当選した年に、麦が長雨で全滅した「黒い麦騒動」が起こりました。農民が県庁に麦わらを山と積んで対応策を迫った光景は強烈で、今でも忘れられません。その3年後には、県政最大の事件といわれた「番の州汚職」が表面化、与野党幹部議員が相次いで逮捕されました。駆け出し議員の私にとっては、政治家とモラルの問題をいきなり真っ正面から突き付けられたようなショックでした。
 昭和40年代から50年代にかけて、日本全体がそうであったように、香川にも豊かさへの希望が満ちあふれていました。香川用水が通水し、瀬戸大橋の建設が決まり、四国横断自動車道、新高松空港などの大型プロジェクトが着実に進展。53年の暮れには初の県人宰相として大平正芳総理が誕生、県民を勇気づけてくれました。その後、赤潮発生やコンビナートの重油流出、豊島産廃問題など、高度経済成長のひずみも表面化しましたが、「田園都市づくり」を目指す香川の歩みはおおむね順調でした。

桃畑から望む飯野山(飯山町)

 大型プロジェクトによるインフラ整備は目的ではなく、田園都市を実現するための手段です。田園都市への思いを折にふれ政策提言してきました。「発想の人」といわれた元知事の金子正則さんと、構想実現への議論を夜を徹してやったのがつい昨日のことのようです。金子さんの後を継いだ3人の知事さんも田園都市構想を掲げて努力されており、21世紀の香川がインフラを最大限に生かした田園都市をつくり上げると信じています。
 県議会の役目は、県政をチェックし、政策提言することです。地方分権が進めば進むほど、その責務は大きくなります。受身の議会にならず、議員同士が丁々発止、主張を戦わせ、積極的に政策提案する活気ある県議会であってほしいと願っております。郷土香川がより発展することを念願し、県民の皆さんに心からお礼のごあいさつを申し上げます。